アーティストインタビュー・アラキケイ

アーティストインタビュー・アラキケイ

Stories — 2026年5月

アラキケイ:織る、それは話すこと

2026年5月、テキスタイルアーティストのアラキケイさんをLink Collectiveのスタジオに迎え、展示とミニ織物ワークショップを開催します。

一目見た時から、カラフルな色使いとユニークな織物に惹かれ、ぜひLink Collectiveのスタジオにお招きしたいと思っていました。実際にお会いしたアラキさんは、たくさんの素材を一つひとつ大事に並べ、大胆でいて丁寧な佇まいの、その全てがアラキケイさんを表すような素敵な方でした。

来訪に先立ち、色彩、伝統、そして織ることが彼女の表現言語となった理由についてお話を伺いました。

- Founder, Kyoko 

色彩は作品の中心的な言語のように感じられます。色との関係はどのように育まれてきましたか?

幼い頃から色にとても興味があり、直感的に色を選んできました。大学時代に、その直感がより深みを増していきました。明度、彩度、光が色に与える影響、素材が知覚を変える仕組み、そして組み合わせが錯視を生み出す様子を学び始めました。

時間をかけながら、「自分の」色の言語を探してきました。日常の中でも色を集めています。目に留まり、引き寄せられる色合いを。色とともに暮らし、観察し、それを糸へと翻訳することが、静かでも絶えない実践になっています。

インスピレーションはどこから得ますか?

ごく普通の場所からくることが多いです。散歩中に見かけた花。道路標識。ホームセンターやスーパーマーケットに行くのも好きです。

有機的な形と無機的な形の対比や、やわらかいものと構造的なものの対峙に惹かかれていると思います。そのテンションが、作品の出発点になることが多いです。

伝統的な織りの技法に初めて出会ったのはいつですか?

テキスタイル専攻として多摩美術大学に入ったときに、初めて織機に触れました。機械というものに、どこか圧倒される感覚があって。でも織機だと、手で一つひとつの工程を理解できました。なぜそうするのかがわかる。その明快さが、自分に合っていると感じた理由です。

織ることが表現の言語になったのはいつですか?

最初は、まっすぐな線を織るだけで精一杯でした。でも繰り返すうちに、動作が自然になっていきました。大学では、織り、染め、編みなど多くのテキスタイル技法を学びました。

卒業制作で織りを選んだとき、織機のことを十分に理解できていて、「この構造で何を表現したいか」と問えるようになっていました。技法に従うだけでなく、自分の意図に沿って形にし始めた。それが言語になった瞬間でした。

ヨーロッパのタペストリーの伝統に根ざした技法を使っていますね。伝統と個人的な表現についてどう考えていますか?

私が使うタペストリー技法は歴史的に、文字を読めない人々に宗教や戦争を伝えるためのものでした。「織ることはコミュニケーションである」という考えは、常に意識しています。

言葉でのコミュニケーションに、ずっとある種の難しさを感じてきました。織ることで、その複雑さを表現し、別の形で見る人と繋がれる。それが実践の軸になっています。対話としての織りです。

伝統を守ることと、新しいものを生み出すこと、どちらに重きを置いていますか?

どちらかといえば、新しいものをつくることに傾いています。もちろん、知識と技術は不可欠な土台です。でも、今この時代に自分が織っていることに意味があると思っています。

かつてはウールや木綿が標準的な素材でした。今は機能に応じてさまざまな糸があります。現代的な素材で日常の風景や感情を表現することで、伝統の構造の中に新しいものを生み出せればと思っています。

今日の日本のクラフトの中で、自分の作品はどう位置づけられると思いますか?

この世界に入る前は、工芸や伝統についてあまり考えたことがありませんでした。でも、自分の手で見て、触れて、考えて、つくることで、それがいかに非凡なものかを理解するようになりました。工芸を深く知る人と、まだ知らない人の間に立っているからこそ、その二つの世界を繋げられることがある、と感じることがあります。

すべてがデジタルで即座になった時代に、手でつくることはあなたにとってどんな意味を持ちますか?

デジタルの進化は素晴らしいと思います。ほぼ何でも瞬時にできる。でも、手でつくることで、最も自分らしくいられると感じます。

タペストリー織りは特に、他の多くの技法よりもつくり手の個性が現れます。時間がかかります。忍耐が必要です。時間が希少に感じられる世界で、そんなに遅いプロセスを選ぶことは、喜びでもあり、解毒でもある。だから人の心に届くのだと思っています。

10年後、日本の織りにどうあってほしいと思いますか?

もう少し多くの人が織りを知ったり、興味を持ってくれたりしたら、それだけで十分です。

自分の作品に「日本らしさ」があると思いますか?

幼い頃、父の仕事の関係でイタリアに住んでいました。東京は、憧れの場所でした。

その早い時期の経験、文化の間に立つ感覚が、自分の色彩感覚や、人がときに「微かな日本らしさ」と表現するものを形成したのかもしれません。確かではないけれど、その間にいる感覚が、今も糸の中に生きているような気がします。

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